永田洋子の逃亡劇のはじまり 浅間山荘事件Prat3

銃の強奪は川島奪還作戦に向けて大きな成果があったように見えました。

しかし、銃が隠してある味とは逮捕された小森が手配した宿だからすぐに足がつく
急いでアジトを移動する必要がありました。

銃を奪ったことで永田は警察から追われる身となってしまいました。

そして、実はこの銃こそ、後に浅間山荘銃撃戦で使用される銃だったのです

事件から、警察はすぐに現場となった栃木県真岡市を中心に
聞き込みや検問などの大規模な捜査網を張り巡らせました。

しかし永田達は捜査の網が及ぶ前に銃をリュックに詰め群馬を離れていたのです。

【浅間山荘事件の真実】

逃亡先は新潟長岡にあるアジト

間もなく警察は真岡市からおよそ30キロ南西にある
栃木県小山アジトを発見

さらに、群馬県館林市のアジトには
印刷機を置いたまま逃走した形跡も発見されます。

そして群馬県太田のアジトも発覚

捜査の手が追ってきたのです。

この時は、まだ銃砲店襲撃事件の首謀者が誰なのかはわかっていませんでした。

捜査員たちは懸命に犯人につながる証拠を探していました。

このままでは捜査の手が、いずれ長岡に
そして自分たちが逮捕されるのは時間の問題、リーダーの永田は決断します。

・本州を離れ、北海道へ逃亡

実はこの時、永田たちはまだ、指名手配されていませんでした。

それを逆手に取り大胆にも電車で逃亡したのです。

スキー客になりすまし、2人ひと組である移動をしました
遠く離れた北海道までは捜査の手が及ばないと永田は考えていたそうです。

長岡から日本海沿いに鉄道で北上
青函連絡船で青森から函館まで北海道に渡り札幌のアジトに潜伏。

その時、捜査はまだ新潟まで届いてはいなかったといいます。

真冬の北海道札幌アジちでの潜伏生活が始まりました。

札幌の味とは隙間風が入る長屋風のボロアパートで
夜は氷点下20度まで気温が下がり、スキーウェアをきたまま
石油ストーブを囲み震えながら過ごしたそうです。

朝起きるとストーブのススで顔が真っ黒になっていることも
しかし、すべては革命のためその信念だけが永田を支えていました。

永田洋子 全国に指名手配

銃砲店襲撃からおよそ2週間
全国に指名手配された顔写真が公開されました。

しかし、永田達は身動きがとれず川島奪還どころではありませんでした。

北海道での潜伏生活は2ヶ月に及ぼうとしていました。

銃を手にしたが何もできないそんな状況で
永田は銃を軸とする暴力革命 武装闘争を指示されます。

それは獄中からの指示でした
獄中の川島が手紙で書いて指示をしていたのでした。

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