第94回箱根駅伝の注目選手が、東京国際大学の一員としてエントリーされた
オールドルーキー渡邊和也(人間社会学部1年)です。
渡邊選手を知らない人へなぜ、オールドルーキー
そして、渡邊選手の現在の年齢と経歴や出身高校について調べてみました。
渡邊和也の年齢と なぜ、オールドルーキー?
渡邊和也選手は2005年、全国高校駅伝の3区で8人抜きの区間2位の快走を演じ、報徳学園の5位入賞に貢献
それが今年と同じ酉年でした。
実業団、山陽特殊製鋼、四国電力は入社3年で廃部となってしまい、2013年2月日清食品グループに移籍していますが
日清食品グループでも怪我・故障に苦しみました。
そして、実業団を経て大学へ進学した30歳
現在の年齢が30歳の大学生オールドルーキーなんです。
大学1年で30歳「実業団時代も高卒の選手が入ってきていたので、そういう子が大勢いるんだろうな、というイメージはできていました。ただ、逆の立場で考えたら、30歳になる1年生がいたらビビりますよね」と笑いながら渡邊選手は語っています。
つまり、全国高校駅伝から12年、東京国際大の一員として箱根駅伝への出場
しかし、ここまでには渡邊和也選手の不運と不屈の魂がありました。
・渡邊和也の経歴 出身高校について
- 小学校は西宮市立瓦木小学校
小学校の頃はサッカー少年 - 中学は西宮市立深津中学校
陸上は中学から始めたそうです - 高校は報徳学園高等学校
全国高校駅伝の3区で8人抜きの区間2位の快走
実業団と大学
- 山陽特殊製鋼に4年、
- 四国電力に3年
- 日清食品グループ
- 長年の夢指導者の勉強をしようと大学へ進学
- 東京国際大学人間社会学部スポーツ学科に進学
- 2017年箱根駅伝予選会ではチーム9番目の成績
- 30歳で箱根駅伝に出場した場合、歴代2位記録、戦後なら歴代1位
・高校から実業団へそして悲運が
指導者になる夢を描いていた渡邊選手は高校卒業後の進路として、大学進学を一時は考えていましたが上手くいかず、「ならば実業団でもっと速くなろう」と、学校側から勧められた山陽特殊製鋼(本社・兵庫県姫路市)に社員として入社しました。
山陽特殊製鋼では、入社1年目から、
- 全日本実業団ジュニアの5000mで優勝
- 2006年11月の関西実業団駅伝では2区区間賞を獲得して山陽特殊製鋼の優勝に貢献して、
- ニューイヤー駅伝に出場し、強豪ひしめく3区を任される
日本選手権での悲運 五輪切符を失う
2008年5月には1500mの日本歴代2位となる3分38秒11を記録、
そして北京五輪出場をかけた2008年の日本選手権1500mでは、残り200mを切ってから猛スパート。
他の選手を引き離すも直線に入って足が痙攣してゴール直前で転倒し、転倒せずにいれば北京オリンピック出場がかなっていました。
ほぼ手中に収めていた五輪切符を失う悪夢に見舞われます。
そして、更なる悪夢が陸上部の規模を縮小
長引く不況の影響で、山陽特殊製鋼は社長の交代を機に、それまで手厚い陸上部へのサポート体制がなくなります。
山陽特殊製鋼から四国電力に移籍
入社4年目で山陽特殊製鋼の陸上部が縮小することになり2010年9月四国電力(本社・香川県高松市)に移籍。
自分の可能性を試したいと考えていた渡邊にとって、契約社員制度を導入していた四国電力は理想的な環境だったそうです。
- 2011年には5000mと1万mで自己ベスト記録を更新
- 日本選手権の5000mを制し、前述した世界陸上大邱大会代表権も獲得
新天地で順風満帆な再スタートを切りました。
福島第一原発事故の影響で廃部
しかし、この時点で予期せぬ事態が、、、
福島第一原発事故の影響もあり、2012年1月から伊方原発が全面停止となった四国電力は業績が急激に悪化。
経営合理化策を打ち出さざるを得ない状況に陥り、陸上部の廃部が電撃的に発表
渡邊は約1ヶ月後の2013年2月に、日清食品グループ(本社・東京都新宿区)へ契約社員として移籍することとなります
しかし、契約社員としての入部にはOKが出たが、同時に契約更新のための目標が設定された。
「2016年のリオデジャネイロ五輪までに、5000mで日本選手権への参加標準記録を切ろう、ということになったんです」
しかしリオ五輪を目指すも四国電力時代から抱えていたアキレス腱痛も再発し
結局、日本選手権への参加資格すら得られず、2017年度以降の契約更新が見送られることも決まった。
3度目の移籍を考えるか?
指導者になりたいという高校時代に思い描いた夢でした。
指導者を目指して東京国際大学へ
他チームへの移籍などを考えていた時に、昔日清に所属していた方がコーチをしている東京国際大学を紹介されたそうです。
ずっと指導者になりたい気持ちがあり、大学でもう1度勉強したかったそうです。東京国際大学の社会人入試を受けて合格しました、将来的には教員免許も取りたいそうです。
社会人入試制度を採用していた、東京国際大学に合格したのは2016年11月。
現役で入ってくる同期の1年生とは11歳違うが、渡邊自身は抵抗を感じることはなかったそうです。
指導者への道から箱根駅伝へ
東京国際大学人間社会学部スポーツ学科に進学した渡邊さんは
スポーツ学科の2018年度初年度納入金156万円もかかります
実業団時代に貯めた貯金には手をつけず、奨学金でやり繰りしながらの進学をしました。
学生になったら収入なくなるのですから、ポンと出せる金額じゃないですね
大学4年間を暮らせるくらいの貯金はあるとありました、
切り崩すのが嫌だったので、奨学金でやり繰りしているそうです。
「この年齢まで結婚を考えた相手がいなかったのも、よかったのかどうか。もし結婚していたら、大学という選択肢はなかったと思うので」と渡邊さんは語っています。
渡邊さんにとって
全10区間が20km以上の箱根駅伝は未知の世界となるだけに、アキレス腱と相談しながら慎重に走り込む量を増やし、課題だったスタミナをつけてきたそうです。
箱根駅伝予選会
入学当初は故障などもあり調子を落としていて、全日本大学駅伝の予選会ではメンバー落ち、その後コツコツと調子を取り戻しますが、箱根駅伝予選会も走れるかどうかギリギリの状態での出場でした。
2011年10月にアキレス腱を痛めて、それが完治していなくて、痛みと上手に付き合いながら練習しています。
予選会の約20kmは初めての距離でしたが、チーム9番目のタイム総合139位でゴールしています。
渡邊さんの現在の1万mのタイムを全盛期と比べますと、2分43秒も違いますが、走るたびに感覚が戻ってきていているそうです。
箱根駅伝出場最高齢記録
30歳の渡邊さんが本戦に出場したら、1939年(昭和14年)第20回大会に33歳と131日で出場した、中央大学の村社講平さん(5区で区間賞)に次ぐ史上2番目。
村社さんの記録は戦前なので、戦後だと渡邊さんの記録は新記録になります。もし3年後4年次に箱根駅伝を走りますと33歳と178日(1月1日で)なので記録更新です。
ちなみに戦後から1992年第68回大会まで28歳以下という年齢制限がありましたが、1993年第69回大会から撤廃されています。
「ずっと五輪を目指してきたし、ましてや次回は自国開催という特別な大会でもあるので」
高校や実業団時代はほとんど無縁と思っていたレースの先に、渡邊は新たな夢を描き始めた。大学4年生で迎える2020年の東京五輪へ向けられる熱き思いは、日に日に膨らんでいます。
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