「由紀さおり」母親 房子さんの支えと芸名の由来「結城紬」

母がくれた着物を着て徹子の部屋に登場したのは歌手の「由紀さおり」さん
“私流”和装のオシャレ術として番組ではオシャレ術を披露してくれます。

「夜明けのスキャット」の大ヒット姉の安田祥子さんと
童謡コンサートを開いて、今なお精力的な歌手活動をしている「由紀さおり」さん

「由紀さおり」さんの母・房子さんは着物好きで、
芸名の由来も「結城紬(ゆうきつむぎ)」から来ているそうです。
何となく音が似ていますね。

番組ではその母の形見の着物も披露されます。

マネージャーとして常に由紀さんに付き添っていた母親・房子さん。
母が亡くなる病床では姉の安田祥子さんとなつかしい歌を歌ってあげたという
エピソードも。

・「由紀さおり」芸名の由来は「結城紬」

「由紀さおり」の芸名は着物特に「結城紬(ゆうきつむぎ)」が大好きだった
母親の安田房子さんが考えたものだそうです。

「由紀さおり」さんの当初はの芸名は
漢字表記で「結城紗織」(ゆうき さおり)という名前だったそうです。

結城紬(ゆうきつむぎ)の「結城」(ゆうき)と
夏の着物である「紗」からとったそうです。

これだと、硬い印象になるので、
「由紀さおり」という芸名になったそうです。

※結城紬(ゆうきつむぎ)とは、茨城県・栃木県を主な生産の場とする絹織物で
呼び名は単に結城 ともいう国の重要無形文化財に指定されています。
結城紬の特徴は、真綿から手でつむぎだす糸にあります。 真綿は、
蚕の繭 を煮て柔らかくして広げたもので、やわらかく、
空気をたくさん含むために温かく、とても 心地良く優しい素材として

結城紬の着物

「由紀さおり」と姉の安田祥子

1969年にはソロ曲「夜明けのスキャット」がヒットして
一躍有名になった歌手の「由紀さおり」さん

幼いころから姉で歌手の安田祥子とともに
童謡歌手として活躍していました。

1985年頃からは姉である安田祥子と
自称・シンギング・コメディエンヌとして
童謡コンサートを開いています。

・夜明けのスキャット 歌詞と意味

「由紀さおり」さんのヒット曲
「夜明けのスキャット」はこちら

歌詞が全く登場せず、大半が「ルー、ルールルルー…」というスキャット
には当時、だれもが驚いたものでした。

スキャットの意味は、ハミングや鼻唄や「ルルル~」「ららら~」
ということなんですね。

・由紀 さおり プロフィール

生まれ 、1948年11月13日
歌手 タレント、女優、ナレーター
本名・旧芸名、安田 章子(やすだ あきこ)

出身地 群馬県桐生市

ひばり児童合唱団出身
洗足学園第一高等学校卒業
洗足学園短期大学英文科卒業
姉は歌手の安田祥子
姉とシンガー・ソング・コメディアンを自称している
(正しくはシンギング・コメディエンヌ)

 

姉の安田祥子さん(右)

・「由紀さおり」 と 母親の安田フサ(房子)さん

幼い頃から安田章子として歌を歌ってきた
「由紀さおり」さんを支えてきたのは母のフサでした。

「由紀さおり」さんのお母さんは安田フサ(房子)さんといいいます。

夜明けのスキャットが大ヒットしかし、その後二度の離婚や突然の病に遭遇した
「由紀さおり」さんを穏やかに接して支えてくれたのは母親の安田フサさんでした。

そして母だ亡くなる前のベッドで母のフサさんが懐かしい歌を歌ってとせがみ
「由紀さおり」さんは、姉の安田祥子さんと共に母が好きだった童謡を歌い、
母も口ずさみこの世去ったということです。

・マネージャーとして頑張った母

歌手の「由紀さおり」さんのお母さんは、
「由紀さおり」さんが歌手デビューすると自らマネージャーになりました。

もちろんマネージャーの経験は全くなく素人で
個人事務所を起こすなど自分の人生をすべて娘の「由紀さおり」さんにかけたのです。

二度の離婚と子宮の全摘出 再婚を猛反対した母

デビュー48年目を迎えた歌手「由紀さおり」さんですが
二度の離婚と子宮筋腫による子宮の全摘出と言う辛い過去を持っています。

「由紀さおり」さんは37歳の時に子宮筋腫を患い
4年後に子宮全摘出手術をしました。

「由紀さおり」さんは20歳のときに一度目の結婚をしています。

相手は10歳、年上の人でした。

子宮摘出後に交際したのがアメリカ在住の日本人 芝富哲也さんでした。

しかし、再婚については母が猛反対しました。

アメリカに住みたいと思った「由紀さおり」さん
しかし母親は彼女の歌を諦めきれなかったのです。

「由紀さおり」さんは、結果的にはこのアメリカ在住の日本人男性
芝富哲也さんより母をとったということでした。

「由紀さおり」さんのお母さんは「由紀さおり」さんの
歌声に夢を託して生きていく覚悟しました。

それが、歌手としての娘の人生を支えてきたのです。

歌謡曲からシンガーソングライターが台頭してきた時に、
歌手としてのアイデンティティーが揺らいで自信をなくしていた彼女に
姉の安田祥子さんと童謡を歌うことを勧めたのも母親でした。

・「由紀さおり」 母親の死と母の夢

「由紀さおり」さんの歌に一生をかけて尽くした母は1999年なくなりました。

2000年に「由紀さおり」さんは柴富哲也と8年越しの愛を実らせ
結婚しましたが歌の仕事は辞めませんでした。

しかしアメリカと日本という離れた環境2人はすれ違いが多く、
結局2006年に離婚をしてしまいます。

母の夢が「由紀さおり」さんを復活させた

「由紀さおり」さんを立ち直らせたのは、母の夢である歌でした。

それから五年後の2011年、「由紀さおり」さんとピンクマルティーニとのコラボアルバム
1969が世界的にヒットしました。

これには天国でのお母さんも喜んでくれた事でしょう。

「由紀さおり」さんは歌手シンガーとして頑張れたのは母のおかげだといいます。

後に由紀さんは自分の母親と自分の人生についてこう言っています。

「私の理想の母親像は、私の母。私が母になれなかったのは、
仕事を持っていたら、こんな母親になれないと思ったから」

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