革命左派の永田洋子と赤軍派の森恒夫 浅間山荘事件 Part4

それから、永田が銃を軸とする武装闘争という方針を打ち出すのです。

当時の組織の機関誌を見てみると
ゲリラ闘争開始と組織がますます過激な方向に進んでいく様子がうかがえます。

暴力革命の目的は敵の殲滅戦であり
小規模なゲリラから大きな革命戦争に発展させる

銃を手にして革命戦争の本当の目的がやっとわかった
これが永田の考えでした

【浅間山荘事件の真実】

 

永田洋子 山岳ベースでゲリラを結成

1971年5月
永田達は北海道を脱出し山梨県小袖に移動

東京と山梨の間にある雲取山

その麓の小袖に山岳ベースを構えました。

キャンプ場の廃屋となったバンガローが新たなアジトとなったのです。

永田はそこに自分たちのメンバーを呼び寄せました。

参加メンバーの幹部には女性も多くいました。

この人里離れた山中で軍事訓練を積み
武力革命の準備を始めようとしたのです。

殲滅戦が計画されていた

銃砲店で強奪した中で射撃訓練も実施
革命の手段として
敵と見なした警察などの権力を銃で倒す。

銃による殲滅戦が計画されていました。

日本も貧富の差のない平等な国家にしたいという思いを若者たちは
暴力革命というか間違った方法で成し遂げようとしていたのです。

この時点で、あさま山荘事件まで9ヶ月

山岳ベースからの脱走者

しかし、過酷な山での生活はすぐに破綻しました。

山岳ベース接地からわずか1ヶ月最初の脱走者が出ました。

小説を書きたいと山を降りた20歳のメンバーでした。

さらに、1ヶ月後交番襲撃計画の調査中に2人目の脱走者が

東京の彼氏と生活したいと言う21歳の女性のメンバーでした。

永田は脱走した2人を連れ戻して再教育しようとしました
山岳ベースで永田達と共同生活し自身も組織から脱走したという。

前澤虎芳氏69歳にテレビ取材が話を聞きました。

彼は、革命組織というものは、自発的な参加であって、
いやだったら辞めるしかない辞めるのを止める権利はないと永田に
言ったそうです。

永田洋子と赤軍派の森恒夫による連合赤軍の結成


連合赤軍事件死刑確定報道 ニュースステーション

永田たちは警察への発覚を恐れ山梨の塩山
神奈川の丹沢など革命左派のメンバーは
山岳ベースを1ヶ月に一度のペースで移動することを余儀なくされました

ちょうどこの頃。永田に共闘を持ちかける男がいました。

それが過激派組織赤軍派最高幹部森恒夫大阪市立大学でした。

革命左派の永田洋子と赤軍派の森恒夫
2人で組むことで生まれたのが連合赤軍だったのです。

後に昭和史に残る大事件を起こすことになる
過激派組織が結成さえたのです。

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